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2005-10-18-01-日用品としてのPalm

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最終更新日付:2013/12/31 18:28:57


日用品としてのPalm

2005 年 10 月 18 日

今回、「日用品としてのPalm」という自分の考えについて書こうと思う。まずは以下の転載文を読んでみて欲しい。これは、2004年12月に「日用品のどこが悪い?」と題して書いたものだ。

「シンプリー・パーム」 を読みかえしてみる。以前もひっかかったことだが、改めて思ったことがある。それは、ハンドヘルドが収益性の低い一般的な商品になってしまうことを懸念していることに対してだ。そうなれば「製品開発や技術革新ではなく製造費用を抑えることに特化した企業だけが利益を得ることになる」...それはそうなのだが。

どんなものだって、最初にヒットするのは、それが画期的だからだ。登場がセンセーショナルであればあるほど、その勢いは増す。しかし、その後はどうなる? 極論をすれば、行き着くところは2つのうちどちらかだ。忘れ去られるか、「あって当たり前」の商品として日常生活に溶け込むか。

そりゃ、作り手からすれば電卓同様の日用品になってしまうのは寂しいかもしれない。ハンドヘルドの夢に賭けた創業者ならなおさらだろう。しかし、日常に溶け込むというのは偉大なことではないのだろうか? 日用品のどこが悪い? ひと山当てて大金持ちになれさえすれば、そのうち忘れ去られるだけのヒット商品でもいいというわけじゃないだろう? そんなのはさもしい山師の発想でしかない。

僕は Palm のようなハンドヘルドがもっと普及することを望んでいるが、それは別に一部の人達に金儲けをさせたいからじゃない。もちろん、こんなすごいものを創り出したのだから、それに見合うだけの富を得てしかるべきだと思う。だとしても、いつまでも「ヒット商品」であり続けるために無理な力を加え続ければ、それは「絶え間なき陳腐化」と「機能中毒症」の泥沼にはまるだけだ。そんなことをしたら、ヒット商品はおろか日用品であり続けることもできなくなるだろう。

今だって、Palm を取り出せば興味を引かれる。物珍しげな視線を集める。まだまだだ。僕が望むのは、Palm を取り出しても誰も珍しがったりしない世界、Palm のような素晴らしいハンドヘルドを誰もが当たり前のように持っている世界だ。それはハンドヘルドが本当の意味で日用品になった世界だ。そして、そんな世界で皆が持っているハンドヘルドが Palm だったら、そのときこそが本当の Palm の勝利なんだと思う。

もう一度言う。日用品は偉大だ。くだらないとか安っぽいという意味ではなく、誰もが持っていて当たり前という意味で。紙のシステム手帳と同じように。そう、今時紙のシステム手帳なんて誰も珍しがったりしないだろう? それと同じだ。ハンドヘルドも同じように当たり前になってほしい。Palm よ、日常に溶け込め! 珍しくもなんともなくなれ! 僕は Palm にそうなってほしいと本気で願っている。

...いかがだろうか。もちろん異論・反論あることと思うし、10ヶ月が経った今では、自分としても補足したいことがいくつかある。ポイントは2つ。両立と競争だ。

まず、「両立」ということについて。要するに、高価で高機能なガジェットと安価で使いやすい日用品的デバイスの両立ということだ。これはすでに実現されていると言っていいだろう。PDA の黎明期と比較すれば、市場に投入される製品の「幅」はものすごく広くなった。これなら、最新・高機能なモノが好きなマニアから手帳代わりに使うだけの一般ユーザーまでカバーすることができると思う。言い訳がましいことを書かせてもらえるならば、以前書いたときは自分の論点を際立たせるために、すでに達成されつつある「両立」については敢えて触れなかったのだ...う〜ん、やっぱり言い訳かも。

次は「競争」について。これは、市場に競争があり、資本が投入される限り、製品は高機能化・高価格化を避けられないという考えからくるものだ。それについてはひとまずこう答えておこう。「それは市場が成熟するまでの話だ」と。もちろん僕は経済には素人だから、素人の意見として聞いておいてほしい。でも、市場原理が「正常に働いている」限り、どんな市場もいずれは成熟すると思う。そうでなければ、その市場は衰退するはずだ。

問題は、市場原理が歪められているような状況だ。ユーザーがお仕着せの高機能製品を使わされるようなベンダー主導の市場では、誰もが満腹であるにも関わらず、いつまでたってもデザートが出てこなかったりする。そして料理長は 「あなた達はまだ満腹ではない!」 と言い続けるのだ。このような市場は最悪で、たいていの場合、利益が上がらなくなった途端に蛇口をひねるがごとく供給が止まる。決して PDA の市場やベンダーがそうだと言っているのではない。しかし、そのような方法で利益を上げ続けることを是とする企業は現実に存在する。そして、そのような企業が参入する市場は、多かれ少なかれ潜在的な危機に直面していると言えるだろう。

話が少し逸れすぎたようだ。高性能化については、基盤としてのデジタル技術自体の進歩があるため、僕はそれほど心配していない。高機能化もまぁおおむね同様だ。しかし、PDA の潜在的な顧客も考慮に入れた上で、高機能なデバイスを必要とするユーザーの割合を考えてみてほしい。本当に、「社会一般への PDA・スマートフォンの普及」を大義として掲げるのであれば、高機能化という土俵だけで闘ってはいけないはずだ。本質的に日用品として使えるようなレベルの製品を安価に普及させることこそが大事だと思うのである。

なんだかまとまりがなくて申し訳ないが、最後に個人的な「日用品としての Palm」の基準を書いておこう。一言でことたりる。「失くしてしまった時に『仕方ない、新しいのを買うか』で済ませられること」 だ。これは価格面でもその他の面でも言えることだ。安価で、手軽に入手でき、導入が簡単であること。そう、安価なだけではダメなのだ。近所の文具店で買えるくらいの手軽さが必要だ。日用品であるというのはそういうことだ。日用品はそうでなければならない。

こんなことを書いたからといって、僕が Palm に対して愛着を持っていないとかいった誤解をしないでほしい。僕自身は、Palm を失くしたら『仕方ない、新しいのを買うか』ではとても済まない。きっと落ち込むどころの騒ぎではないだろう。僕が言いたいのは、そんな熱狂的なユーザー以外の人々でも気軽に使えるようになる必要があるということなのだ。

 

コメント

MACY - 10/18/2005 08:40:44 AM

そういう意味では、今の携帯電話が日用品であり、ガジェットであり、という世界に一番近いのかもしれませんね。ただ、携帯電話もメーカーお仕着せの機能てんこ盛り仕様のものしか出てこない、といった面では不健康ですね。キャリア主導でしか新製品を出せない現状では仕方ないのかもしれませんが。海外の携帯市場は、通常の端末あり、スマートフォンあり、という状況なので、理想の状態に一番近いんですかね?(海外に行ったことがないのでわからない^^;)

陰郎 - 10/18/2005 11:25:37 AM

> MACY さん

敢えて控えめにしか言及しませんでしたが、僕自身の認識としては、資本を投下する価値があるとみなされる現代の市場はおおむね「過剰な資本主義」に傾く傾向があると考えています。「需要を供給側が作る」という倒錯した環境ですね。これは民度にも大きく関わる問題でしょう。僕も海外経験がないので憶測でしか言えませんが、米国はもっと酷いんではないですかね。あっちは「消費は美徳」ですから。

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