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最終更新日付:2013/12/31 07:39:22


駆り立てるもの

2006 年 05 月 22 日

『フェルマーの大定理』と言われるものを御存知だろうか。簡単にいうと...

n が 2 よりも大きい自然数であれば、xn + yn = zn という方程式は自然数解 x, y, z を持たない。

...というものだ。n が 2 の場合に解が無数にあることは誰でも知っている(例えば 3, 4, 5)。しかし、n > 2 の場合にこの方程式が「決して」自然数解を持たないことは、実に 360 年もの間証明されなかった。1994 年にワイルズという数学者が完全な証明を与えるまでは、これは定理ではなく、予想(および部分的な証明)でしかなかったのだ。

実際の証明では、この問題は楕円曲線上の有理点の問題に還元される(らしい)。陰郎にもそこまではなんとか理解できるのだが、肝心の証明の理論部分はちんぷんかんぷんである。

難しい話はこれくらいにしよう。この話を持ち出したのは、このワイルズという数学者がインタビューに応えて語った内容を紹介したかったからだ。又引用になってしまうが、以下のとおりである。

ぼくは、フライとリベットの結果を知ったとき、風景が変化したことに気がついた。……このときまで、フェルマの最終定理は、何千年間もそのままでけっして解かれることがなく、数学がほとんど注目することがない数論の他の[散発的かつ趣味的な]ある種の問題と同じようなものに見えていた。ところがフライとリベットの結果によって、フェルマの最終定理は、数学が無視することのできない重要な問題の結論という形に変貌したのだ。……ぼくにとって、そのことは、この問題がやがて解かれるであろうということを意味していた。そして、いったんそうした確信に到達すると、ぼくは挑戦せずにはいられなくなるのだ。

最後の、「挑戦せずにはいられなくなるのだ」という部分を初めて読んだとき、涙が出そうになったことを今でもよく覚えている。ある種の人間の特性を、これほどまでに見事に表現した言葉があるだろうか。

陰郎のやっていることには、ワイルズの与えた証明のような偉大さも難解さも壮大さもない。陰郎の挑戦などたかがしれたものだ。しかし、野心でも功名心でも欲望でもなく、まったく別のものに駆り立てられるような人間もまたいるのだということを言いたかったのだ。そのような人間を駆り立てるのは、『できるはずだ』という確信である。自分がやりたくてもできなかったことが、ある時(手掛かりを得た時や、突然閃いた時)、『こうすればできる』という確信に至る...それが全てだ。対象は完全に個人的な問題になり、居ても立ってもいられなくなる。あとはただ目標に向かって突き進む道しか残されていない。

誤解を恐れつつ言うならば、陰郎は FEPSwitch を OS5 Hack として書き直していたとき、それによってどれくらい便利になるかとか、どれくらいの人が使ってくれるかとか、それどころか自分の生命維持でさえも、すべてはどうでも良かったのだ。あのとき目の前にあったのは克服であり、到達でしかなかった...いや、誤解しないでほしい。全てが本当にどうでもいいのなら、わざわざ作ったりはしないし、作った後にドキュメントを作成して配布するような真似はしないだろう。開発をしているときはいつもそうだが、陰郎には「正気に戻る」タイミングが必ずある。たいていは「目処がついたとき」で、正気に戻ってしまえばちゃんとドキュメントも作るし、社会的な人間として生活(!)もするのである。しかし、正気に戻るまではとり憑かれたような開発者が突っ走っている、ただそれだけなのだ。

 

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