2007-01-30-01-日々の小さな幸福、名前の大切さ - project-enigma

2007-01-30-01-日々の小さな幸福、名前の大切さ

>> Site top >> weblog >> 月別アーカイブ >> 2007年01月のlog >> 2007-01-30-01-日々の小さな幸福、名前の大切さ

最終更新日付:2013/12/31 07:39:04


日々の小さな幸福、名前の大切さ

2007 年 01 月 30 日

仕事が忙しい。あと1時間ちょっとで日付が変わろうという時間になって帰宅し、米と味噌汁の夕食を済ませる。おかずはない。食卓に座る余裕もなく、台所で立ったまま食事を済ませる。

こんなとき、陰郎はいつも日々の小さな幸福ということを考える。何をもって幸せとするかというのは実に主観的なことだ。常に追われるように動き、立ったまま食事をするような生活をしていても、陰郎は自分の生活をひとまず幸福だと思っていられる。

陰郎の本名を知っている人は Palm 界にはほとんどいない(多分3〜4人だろう)が、陰郎の名を知る大方の人は陰郎の人となりと名前に関して、「名は体をあらわす」と評してくれる。有難いことである。ここに自分の名を掲げることはしないが、陰郎はその名の現す方向に向かって生きている。陰郎は自分の名前をとても気に入っている。陰郎の両親がその名前を陰郎につけ、またそのように育ててきた(と陰郎は勝手に思っている)。その名前は陰郎にとって自分の両親と同じだけの誇りを感じさせてくれるものであり、自分の人生と同じくらいに大切なものだと考えている。

名前というのはとても大切なものだ。陰郎はそう信じている。だから陰郎は名前というものを軽んずるような発想は嫌いである。確かに名前を変えたとしても実体は変わらないかもしれない。しかし、陰郎はそこを問題にしているのではないのだ。簡単に名前を捨てたり変えたりするというのは、それ自体が持っている歴史を軽んずる行為だ。だからこそACCESS 社が Palm OS の名を Garnet OS に改変するという話を聞いてあれだけ激しく反応したのだ。単純に ACCESS 社が具体的な動きを何もしていないからという理由ではない(とはいえ、これまでの良くない材料が積み重なって陰郎の火に油を注いだというのは事実だ)。また、そのような理由があったからこそ、先日のエントリにいただいたコメントで「相応の理由が存在する可能性」を見出し、少し心が落ち着いたのである。

しかし、その「可能性」が実際にはどちらであるのか...この可能性には「両方である」という結果も含まれているのではあるが、それはこれからの歴史が示してくれることだろう。果たして Palm OS という名前を別の名に変える相応の理由があったのか。あったのであればそれは何のためか。それが如何なる方向を指し示しているのか。

それがはっきりするまでは、「 どっちでもいい 」 などとは口が裂けても言えない。

 

コメント

このページにコメントする

 

このページのタグ

Page tag : Palm

 

 


Copyright(C) 2005-2017 project-enigma.
Generated by CL-PREFAB.