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2008-02-02-02-いわゆる神

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最終更新日付:2013/12/31 07:37:32


いわゆる神

2008 年 02 月 02 日

めずらしく、Palm とも開発とも無関係なことを書く。いつもの不健康ネタですらない。内容的に不快に感じる人もひょっとしたらいるかもしれないので、追記欄に書いておく。読みたい人はどうぞ。

注文していた靴を受け取りに隣駅の駅ビルへ。

帰宅の道すがら、路傍に目を向けると初老の男性が『目覚めよ!』と書いたパンフレットを手に掲げて立っていた。どういうつもりかはわからないが、道行く人々に対して暗黙に 「 お前たちは目覚めていない 」 と言っていることになる。陰郎は考えてみた。たしかに陰郎は寝不足だし、眠いことは眠い。しかし、目は覚めてはいるようだ。それは冗談としても、確かに足元は危うく見えるかもしれない。しかし両手はすべきことをしっかりと握り締めている。それは誰もが果たすべき義務としての勤労や納税である。その義務を果たすだけでも手一杯なくらいだ。宗教家から見てそれが「目覚めていない」のだとしたら、目覚めているかどうかなど義務を果たすべき国民としてはなんら重要ではない。

その点に関して言えば、そのパンフレットを手に屹立している男性のほうがよほど覚つかないように見受けられる。この寒い中駅前でずっと立っているのだ。なにかの懲罰でなければ前後不覚と思われても仕方あるまい。ほかにするべきことはないのかとつい思ってしまう。宗教家を小馬鹿にする気は毛頭ないが、このときばかりは「あなたのほうが目を覚ました方がよくありませんか」と声をかけたくなった。それも愛ゆえに、である。

陰郎はいわゆる無神論者ではないが、根底には多分無神論がある。しかし、ご先祖様に手を合わせることの大切さは理解しているつもりだ。「理解している」などと言う時点ですでに『伝統的日本人検定』には不合格なのだろうが。それでも法事や冠婚葬祭の類は欠かさないし(呼んでもらえれば、だが)、盆暮れ正月にはかならず帰省もする。それを当たり前のことと考えられるだけでもありがたいことではある。

帰省で思い出したからついでに書いておこう。陰郎の父方の祖母はまだ存命で、存命どころかまだ働いてさえいる。仕事は日本人形の教授で、仕事で海外にまで出掛けて行ったりする。もう米寿も過ぎようというのに、陰郎の一族の中では一番アクティブなおばあちゃんである。陰郎の曾祖母が他界してからまだ10年経っていないくらいなので、陰郎の血筋は長寿なのかもしれない(少なくとも女性側は)。

で、このおばあちゃん。非常に温厚で、いわゆる嫁姑問題というのも陰郎の実家には見当たらない。仕事を続けている老人の常として生き生きとしている。こんな余生を送れたら...とは思うが、祖母にとっては『余生』などという言葉はないのかもしれぬ。祖父が他界しても仕事は続けているし、仕事で海外に行く時だって一人で行ってくる。さすがにこの10年でずいぶん体は弱ったようだが、『一生現役』という言葉が服を着て歩いているようでさえある。

そんな祖母が、先日の正月帰省の折、なにかの会話の中で、陰郎の知らぬ知人に言及して珍しく厳しい言葉を口にした。「おばあちゃんはね、ご先祖様を大切にせん人は嫌いやもん」 と。はっとした。口調はやさしかったが、厳しさが伝わってきた。小さい頃、わがままを言って叱られたとき以来かもしれない。ただそれだけのことだったが、手を合わせたい気持ちになった。日本人は何千年も、こうやってご先祖様に手を合わせてきたのだ。世界に唯一であると吹聴されるところの、いわゆる神。そんなものに何の価値があるだろう。せいぜいがパンフレットを持たせて寒空の中に信者を立たせておくだけだ。

 

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