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Palm に関する雑記

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最終更新日付:2014/01/08 19:13:57

とり急ぎ、以前から書いていた monologue から移設。2003 年以前のことは思い出しながら書いたものなので、かなりたくさんの記憶違いや思い込みが紛れ込んでいるだろうと思う。間違いだらけの回顧録だな。まぁ真面目に読む人がいるとは思ってないのでよしとしよう。

 

無知と偏見の時代(おそらく1999年頃)

何年前のことか、もうはっきりとは思い出せないけれど、職場の上司が Palm デバイス(時期的な記憶から察するに、おそらくは IBM の Workpad )を持っていた。なにやらゲームなどやって得意気になっていたようだが、正直言って何がいいのかさっぱりわからなかった。今にして思えば、それが Palm との最初の出会いだったことになる。ということは、あんまりいい出会いではなかったってことだ。なんせ、お愛想程度の相槌を打って適当に羨ましい振りをしなきゃならなかったんだから。

電子手帳(当時は PDA という言葉も知らなかった)なんて、と思っていた。少なくとも自分の使う道具じゃない。そう思っていた。だって、まともなキーボードもついていないんじゃ、ってね。それに、PC とデータを別で持たなきゃならないなんて ── そう、PC と同期が取れるなんて、自分は想像もしなかったのだ ──、考えただけでぞっとした。この頃の自分は何も知らなかった。明らかに無知からくる偏見に満ちていた。

まともなキーボードがあって、PC とのデータのやりとりがストレス無く可能なこと。Palm がこの条件を満たしていることに気付くまで、自分にはノート PC を持ち歩く以外の選択肢はなかったのだ。そして実際にそうしていた。しかし、別の解答が必要だったことも明らかだった。だって、外でノート PC を使うといっても、やることといえば思いついたこと(例えばソースコードとかメモとか)を書き留めるくらいだったのだ。その作業をするために──使いやすいキーボードが必要という理由だけで──1〜2kgもあるノートPC を持ち歩くのは何か間違っていると感じていた。それに、ノート PC のキーボードは御世辞にも打ちやすいとはいえなかった。他よりましだった(と言うよりは他に選択肢がない)というだけのことだったのだ。

 

衝撃の折畳み鍵盤(2000年?)

PC と同期が取れることをいつ知ったのかはもう思い出せない。でも、Palm の折り畳みキーボードを知るより前であったことは確かだ。だから、あのキーボードを店先で見つけたとき、自分の中での Palm の存在は、それまでと全く違ったものになってしまった。

キーボードを見つけたときのことは、今でもよく覚えている。たしか新宿のさくらやだ。PDA のコーナーをぶらつきながら、やっぱり Palm 社の Vx が一番 cool だよなぁ、IIIc もいいけど、カラーは必要ねぇかなぁ、とかなんとか独り言を言っていたのだ。それでも、その時点では、せいぜいが面白そうなおもちゃといった程度の認識で、本気で買おうとは思っていなかった。

何気なく、Vx の横にあった濃いシルバーのケースのようなものを手にとった。これは何だ? Vx より一回り大きい...ケースか?側面のスイッチみたいなものを動かせば開きそうだ...

がちゃっ

目を疑った。キーボードだった。見てはならないものを見てしまった気がして、自分でも滑稽なくらいうろたえてしまった。畜生、なんてこった! 4つに折り畳めるキーボード?! しかも...フルサイズだ。キーのサイズ、ピッチ、タッチすべて申し分ない。キーの配列も特に問題ない。ヘタなノート PC のキーボードよりもはるかに使い易そうだった。先にも書いたとおり、折り畳めば Palm よりひとまわり大きいくらいだ。こんな小さな箱が、立派なキーボードになる。最高に cool だ!

その日、帰宅する電車で自分は手ぶらだったけれど、それは単に持ち合わせがなかったからだった。吊革につかまりながら、Vx とキーボードのことをずっと考えていた。すでに、自分にとって Palm はおもちゃなどではなかった。

 

宗旨変え(2000年?)

先のキーボードショックからどれくらいの時間がたってからだったか、はっきりとは覚えていないが、とにかく Vx を購入した。もちろんキーボードと一緒に。

こういうのを改宗者的情熱というのだろうか。自分は、ずいぶん熱心な Palm ユーザーになっていた。とはいっても、Hackmaster も使っていなかったし、それどころかこれといった追加アプリも使っていなかった。自分にとっては、最小限の荷物で快適なタイピング環境が手に入ったということがもっとも重要だったのだ。

キーボードは大活躍してくれた。まさに期待を裏切らなかったと言っていいと思う。

 

アキレス腱(2000年?)

そんな熱狂的な Palm 改宗者となった自分も、いくつかの点において不満を感じていた。その不満とは ───

そう、自分にとっては、Palm は何よりもまず「どこでもエディタ」だったのだ。特にソースコードを入力するときはこれらの問題点は致命的だった。プログラミングのときは右端で折り返すよりも横方向にスクロールしてくれた方がうれしいし、それよりは我慢できるとは言え、やっぱり固定ピッチフォントの方がいいのだ。少なくとも自分の場合は。自分が書く C++ のソースは、スタイルの関係上識別子名が長い。そのせいで Palm 上にタイプされたソースコードはやたら折り返しだらけで読みにくくなってしまう。

 

m515登場(2001年?)

その後、しばらく Vx とキーボードを持ち歩かない時期があった。最大の理由は、PC を離れているときにコーディングよりも設計をやるようになり、それには Palm よりも紙とペンの方が好都合だった。だからその頃は自分の相棒は物理的なメモ帳だったのだ。

ちょうどその頃、m515 が登場した。しかし、Palm から離れていた自分は、いいな〜と思いながらも指をくわえて見ているだけだったのだ。その後、Palm-Japan がどうなってしまうのかを知っていたら、借金してでも買っていただろう。しかし、その時は、その次のモデルを買えばいいかな、と考えてしまったのだ。

 

Palm との復縁(2002年?)

お気に入りのデバイスではあるものの、日常的に(もしくは deep に)使用するわけではない —— そんな Palm Vx との関係は、思いがけない理由からよい方向へと変化していくことになる。この後、自分は Palm の本分である PIM 機能に深入りしていくことになるのだ。

その理由は、 職場における自分の立場の変化だった。それまでの開発に専念すべき下っ端の立場に加えて、タスクやスケジュールの管理なども自分の守備範囲となったのだ。そしてそれは、とても苦手な仕事だった。

苦手な仕事を上手くこなすには、何よりもまずその仕事を好きになる必要があった。そのために、自分はまず Microsoft Outlook を使いこなすことから始めた。それまでの自分にとっては、Outlook は単なるアドレス帳付きメールソフトでしかなかったが、この頃から仕事や予定表を積極的に活用し始めたのだ。palm desktop を使用しなかったのは、職場で使用されているメールソフトが Outlook だったから全てを Outlook で統一した方が都合が良かったからで、それ以外の理由はなかった。

Outlook を使いやすいとは思わないが、それでもその活用によって、それまで苦痛でしかなかった管理業務がかなり楽になった。楽しくさえなったといってもいい。そして、このことが自分の目を再び Palm へと向けさせてくれたのだ。Outlook と Palm を同期させられることは知っていたし、そのために必要な Pumatech社の Intellisync for Palm も Vx と同時に購入していた。自分はこれに注力し、やがて(変な表現かもしれないが)まっとうな Palm 使いへと近づいていくのだ。

色々な Palmware で賑やかになっても、やはり Palm の本分は PIM 機能だと実感する今日この頃だが、あれだけ嫌っていた管理業務がそれに気付かせてくれたというのは皮肉な話だと思う。

 

消えた各社製品(2002年?)

そんな感じで Palm Vx とうまく付き合うようにはなっていったものの、m515 はいつも頭にちらついていた。しかし、発表からだいぶ時間が経ってしまっていたため、なおさら新モデルを待とうという気持ちは動かないものになってしまっていた。実はこの頃、Palm社が日本から手を引くのではないかという話は有名になっていたようだが、世の中の流れに疎い自分はまたもや無知の小部屋に閉じこもっていた。

異変に気付くまでにしばらくかかった。気付いたときには、ショップの PDA コーナーから Palm が消えていた。ただ1社、SONY の製品を除いて。

状況を理解するまでにはさらに時間がかかった。しかし、いくつかショップを廻ってみてようやく飲み込めてきた。要するに手を引いたのだ。m515 はもう手に入らないだろう。そして、新しいモデルは日本で発売されることはもうないのだろう。

情報誌によれば、各社は日本市場から撤退し、SONY だけが CLIE で「頑張っている」のだそうだ。自分にはあまりそうは思えないが、まぁ真実などどうでもいい。それがどうであれ、 CLIE 以外の日本語版 Palm デバイスはもう手に入らないのだ。そしてこの頃、自分は心に決めた。絶対に CLIE だけは手にしないと(それには色々事情があるが、ここでは述べない)。しかし、そのためには、なんとかして新しい(CLIE 以外の) Palm デバイスを手に入れるか、さもなければこのまま Vx を使い続けるしかなかった。

 

事故(2003年10月上旬)

ある日、Vx を紛失した。職場を出るときはたしかにカバンに放り込んだのに、家に帰ってきたら入っていない。職場に連絡して机の周りを探してもらったが、無い。バイクに乗って通ってきた道をトレースしてみる。何処で落としたんだろう。データは PC と全て同期を取っているし、本体にはロックをかけてあるから中を見ることはできない。電源を入れれば連絡先が表示されるから、拾った人が連絡してくれるかもしれない。期待せずに待ってみようと思った。

幸運なことに、翌日の昼には地元の警察署から電話があって、遺失物として届けられているという。感謝感激。その次の日に受け取りに行くことにした。

だが、残念ながら幸運はそこまでだった。受け取ってみると、Vx は電源は入るものの、液晶画面が割れて使用不可能な状態になっていた。まぁ、走行中のバイクからダイブしたのだろうから、まだ傷は軽い方だったのかもしれない。

これからどうしよう。もう m515 は手に入らない。さしあたりは手元にある Vx Millennium Edition を使いつづければいいのだけど、本当に途方にくれてしまった。

 

m515落札〜Vxも(2004年3月上旬)

あまりこういったことはやらないタチなのだが、職場の同僚に「出品されてたよ」と言われ、矢も楯もたまらずに手を出してしまった。そう、ネットオークションで m515 を落札したのだ。ついでに Hotsync ケーブルと充電ケーブルも。これだけあればさしあたりは不自由すまい。しかし、嗚呼、キーボード!! これだけは納得のいくモノが出品されていなかった。致し方ない。これに関しては機が熟すのを待つとしよう。

さらに、—— これは本気で悩んだが —— Vx も1つ落札した。Millennium Edition は持っていたものの、やはりオリジナルは手元に置いておきたかった。妙なコレクター根性ではない(と思っている)。やはり自分にとっては特別な意味のある機種である。今後使用することはないと思うが、それでも手元に置いておきたいのだ(やっぱコレクター根性かな)。

 

Tungsten T3 と Palmware 開発(2004年3月中旬)

m515 を使い始めると同時に、自分はさらに Palm に深く入っていった。それまでほとんど手を出さなかった Palmware をいろいろ試すようになり、Hackmaster や Localizer も使うようになった。Palm Life ここに極まれり、といったところだ。

しかし、何ができるかを知るということは、往々にして何ができないかを知るということにつながる。かくして自分の目は m515 のさらに先へと向かうことになるのだ。

開発者である自分にとっては、ソフトウェアというものは使うだけでなく、作るものでもある。そして Palmware はすべて誰かが作ったものだ。そして自分が必要とするものを誰も作っていないのであれば、それは自分で作るべきだということになる。ソフトウェア開発者にとってソフトウェア的な限界とは、そのようにして越えるべきものなのだ —— もちろん、費用対効果は考慮する必要はあるけれど。

もう1つの限界は、ハードウェア的な限界だ。これをソフトウェア開発者がその守備範囲内で克服するのは不可能という点で、開発者にとってはより切実な問題となる。

自分には国内の現行製品を買う気がないから、あとは国外の製品を入手して日本語化するしかない。この点については、誰もが知っている偉大な先人達の業績によって、ほとんど不安はないのだそうだ。そう、いずれ自分もその方向へと向かうことになるだろう。すこし不安は感じるものの、それは初めて通る道への1歩を踏み出すときに誰でも感じる不安だ。自分の足元を良く見てみよう。既に日本の市場は荒廃してしまっている。そこには競争がない。お金を出したくなるようなデバイスもない( 少なくとも自分にとっては )。今、自分の目線の先には Tungsten T3 がある。手にすることになるのは、Tungsten T3かもしれないし、その次の何かかも知れない。

 

スタイラスを探して(2004年3月下旬)

palm m515 用のスタイラスを探してネットをさまよっていた。キーボードがあってもなくてもスタイラスの使い心地は重要だからだ。あの標準のスタイラスは使いづらい。スタイラスにもなるマルチペンがあることは知っていたが、スタイラスのためにペンを選ぶのも何か違う。要するにペンの替芯としてのスタイラスがあればいいんだ...と思っていたらネット上で MiniBar なる商品に遭遇した。まさにペンの替芯としてのスタイラス。これだよ、こいつが欲しかったんだ!

...いや、嘘を書くのは良くないな。実は、MiniBar を紹介するサイトを見つけるまで、そんなものは想像もしなかった。そう、それだけに目から鱗が落ちる思いだった。そんなわけで一気に欲しくなってしまったわけだが、この MiniBar、一体どこで手に入るのか...通販だけだろうか。不在がちな自分としては、どこかのショップで売ってるとうれしいんだけど...いや、秋葉原のとあるショップにあるらしいぞ。明日行ってみよう。

翌日、遠路秋葉原へ。目的のショップに着くと、意外と小さなお店。スタッフさんに聞いてみると、MiniBar、ありませんとの答え。しかし、少し歩いたところに系列(?)のPDA 専門店ができたとかで、そっちならあるかも知れないとのこと。場所を教えてもらい、早速行ってみる。

結論としては,この日 MiniBar を入手することができた。遠出してきた甲斐があったというもの。しかし、収穫はそれだけではなかった。なんと、そのショップは PDA 関連の輸入品も扱っていたのだ。純正のスリムレザーケースが、Tungsten T3 と共用で使える Wireless Keyboard が、普通に置いてある! 興奮して鼻息荒くして店内をうろつきまわってた自分は十分不審だったに違いない。結局キーボードとレザーケース、そしてこの日の本命である MiniBar を買い込んでいそいそと帰路に着いたのだった。このショップはその後完全に自分の行きつけとなる。MiniBar は自分をあのショップに連れて行ってくれたようなものだ。感謝。

実は、MiniBar にあわせて、以前から欲しかった木製のペンを購入してしまっていた。黒ボールペンの芯をはずし、MiniBar(黒)を丁寧に差し込む。おぉ、ジャストフィット。そして、ためしに書いてみる。いや、素晴らしいの一言。書き味はもちろんのこと、紙に字を書くのも palm で grafitti 入力するのも同じペンが使えるって点が最高だ。キーボードの購入であまり graffiti を使わなくなったが、MiniBar のおかげで palm を使うのがより楽しくなった気がする。( ちなみに、その後間違えてボールペンを出した状態でタップしてしまうミスが何度か繰り返されている )

そしてキーボード。パッケージを見たときから判っていたことではあるが、QWERTY 配列とはいえ、通常一番上にある数字キーの列が存在しない。Fn キーを押しながら QWERTY列を押すと数字が出るのだ。さらに赤外線を利用するため、単4電池2本を使用する。で、使い心地は、といえば、なかなか上々だ。記号系のレイアウトが少し違っているが、コーディングの時以外は大丈夫だろう。これで自分は Vx 時代と同等の、いや、それ以上の環境を手に入れたのだった。

 

死に至る病(2004年夏)

自分はハードウェアにはあまり運がないらしい。オークションで落札した m515 は大活躍してくれたが、またしても不運に襲われた。しかも、Vx 時代の交通事故のような Short Sharp Shock ではない。今度は放射能に被爆したような、徐々に全体を蝕んでいく病だった ── スクリーンの片隅から、液晶漏れが発生し始めたのだ。

最初は、液晶画面の右下隅に見えるほんの2ドット程度の黒い点に見えた。それがなんなのかすらよくわからないほどの。しかし、数ヵ月後には携帯電話の電波受信状況を示すアンテナの表示のようになった。そして、非常にゆっくりと広がっていく。これは、徐々に死に至る病だ。そして秋頃には指先くらいの大きさになってしまった。自分は覚悟した。この先どれくらいの時間がかかるかわからないが、いずれは使えなくなる。画面全体が真っ黒になる前に、事実上使用不可能になるだろう。修理が可能かどうかわからないが、いずれにしても新しいデバイスのことを考えた方がいい。しかし、愛着があったし、当分は使用に差し支えない。それゆえに自分の足はなかなかショップへとは向かなかった。

─ 追記 ─

2005年2月末。いい加減に修理に出すことに決めた。このサイトに載せるために液晶漏れを携帯カメラで撮影したのが上の写真だ。画面右下のあたりに見える黒い部分が液晶漏れだ...修理の顛末は独立したページで報告する。

 

3の次は5?(2004年10月中旬)

自分はあまり外出しない。ネットの世界でもだ。PC に向かえばコーディングばかりしている。そうでなければ自分のサイト用の文章を書いている。しかし、いつのころからか、そうではなくなってきた。Palm 関連のサイトをチェックするようになったのだ。ネットの世界はテレビ同様、知性に欠け、下らないものが多いが、Palm 関連のサイトは面白かった。だからちょくちょく見るようになったのだ。

Tungsten T5。その名前が目に入った時、ぞくっとした。一瞬のうちにいろいろなことを考えた。しかし、回転数が少し下がった時には思いがけない考えが頭の中を占めていた。「T3 を買おう。」これは直感だったが、スペックを調べた限りでは悪くない直感だった。メモリ容量以外はそれほど性能に違いは無いし、ボイスレコーダーがついていないこと、触ったことも無いのにスライダーデザインが cool だと思っていたこと、T|T5 の発売によって T|T3 の値下げがありそうなこと。日本語化の対応にどれくらい時間がかかるか(この時点では)わからないことなどから、現時点では T|T3 のほうがベターと判断したのだ。自分は久しぶりにショップに足を運んだ。

 

Tungsten T3 押し問答(2004年10月下旬)

ショップでは T3 が品切れになっていた。聞いてみると1〜2週間で入りますとのこと。待つことにして帰る。おっと、Palm Magazine が出てる。買っていかなくちゃ。

次の週末、ショップに電話してみた。T5 の入荷のお知らせがサイトで発表されていたからだ。しかし、残念なことに T3 は入っていないという。残念だ。しかし、対応してくれたショップの店員さんが「予約という形にすれば入り次第ご連絡いたしますが」と言って下さった。お願いしますということで名前と電話番号を伝え、電話を切る。

しかし、電話を切った直後から不思議なことに「T5 でもいいかなぁ...」という思いが頭をよぎる。日本語化もそれほど時間がかからずに実現しそうな気がするし。しかし、T3 だ。ずっと欲しかったんだ。

2週間後、ショップに行ってみた。Tungsten T5 がいくつも並んでいる。しかし、T3 はない。入荷したら電話してもらうことになっているのだから、電話もないのに店に並んでたらそれはそれで困るが。しかし、いつの入荷になるんだろう? 最近で最初に問い合わせた時に、「1〜2週間で入ります」と言われてからもう2週間が経っている。今聞いても同じ答えが返ってきそうで、聞くのをやめた。日本には正規の代理店のようなものもないのだろうから、買い付けをするバイヤーのような存在とやり取りするしかないというのが現実なのかもしれない。であれば、望む時に望む数だけ入荷するというわけにはいかないのだろう。いつ入荷するかを何度も聞くのも酷な気がした。m515 用のスクリーン保護シートを買って帰宅する。

 

我慢しかねて変節 ─ Tungsten T5 を購入(2004年11月中旬)

...というわけだ。昨夜、J-OS の Tungsten T5 対応がもうすぐだというアナウンスをネットで見た。ベータ版も出ている。自分は考えた。もう T3 はあきらめよう。値段がほとんど変わらないなら T5 の方がいいじゃないか。

ショップへ行く。決意が決まった以上、無意味なのだが、なんとなく T3 が入っていないか聞いてしまった。言い難そうな感じで「1〜2週間...で入ると思うんですけど...」との答えが返ってきた。自分は何をやってるんだ。言い難い事を言わせているだけじゃないか。申し訳ないと思いつつ、予約を取り下げたい旨を伝え、Tungsten T5 を購入した。1GB の SD カードもつけてしまった。 約7万円の買い物となった。後日 J-OS とケースを買うつもりだ。そちらは合わせて 10,000円 くらいになるかな。

帰宅後、日本語化作業をする。J-OS はベータ版の間は試用することにし、製品版が正式にリリースされたら購入することにした。palm desktop の日本語化はとりあえずはしない。Intellisync と Outlook で特に問題なさそうだ。J-OS は意外とすんなりと導入に成功した。愛用のワイヤレスキーボードをつないでみる。快適に日本語が入力できるので感心した。J-OS IME は少し練習すれば慣れそうだ。それよりも graffiti2 の方が慣れるまでに時間がかかりそうだ。

─ 追記 ─

上の写真は 2005年01月に購入したクレードルに乗っけた状態を携帯カメラで撮影したものだ。自分はカメラ好きのクセにまともなデジカメを持っていない。なんとかせねば。

 

「シンプリー・パーム」── 歴史に触れる(2004年11月末)

長いこと読みたいと思っていたものの、出不精ゆえになかなか手に入れることができないでいた。しかし、今まで何度も繰り返してきたのだ。買おう買おうと思っているうちに手に入らなくなる。こと Palm に関わることで、もうそんな思いをするのはいやだ。そう思って購入した。

5時間くらいかけて一気に読了した。面白かった。面白くて読みきるまでなにもしなかった。そのために仕事まで休んだのは多分これが初めてだろう。これはまさに palm の歴史を綴った本だ。うちのサイトは公式の部分ではソフトウェア開発のことしか扱わないが、これはレビューする価値のある本だろう。というわけでお粗末だがレビューを書くことにした。

この書籍に関するレビューはこちら

日本語版の監修にあたられた伊藤氏は「プロジェクト・パーム」という自著の出版に向けて懸命な努力を続けている。自分も先日ウェブ上のアンケートに答えたばかりだ。この(現時点では)幻の本には、palm 黎明期の日本における普及と日本語化に尽力された先人達のことも書かれることになるらしい。だとすれば、日本人の palm ユーザーにとってはある意味で「シンプリー・パーム」よりも重要な意味を持つ本になるだろう。出版の実現を切に願う。

 

Palm の「進化」に寄せる雑感(2004年11月末)

あまり書きたくないことだ。しかし、書かねばならない。本音を言うと、Tungsten T5を実際に手にして使ってみた感想としては、期待していたほどうれしいと思わなかった。いや、うれしかったのだが、なにか違うのだ。違和感があるのだ。告白しよう。買ってきたパッケージを開け、真新しいデバイスを充電し、初めて電源を入れた瞬間、自分がどう思ったのか。「Pocket PC みたいだな」。

Microsoft 社が嫌いなパーム信奉者がこんな発言を聞いたら、怒り狂うかもしれない。しかし、それが第一印象だった。画面にはキレイな背景画像が設定されている。こんなものいらない。設定で画像をなしにしようとしたらエラーでリセットするハメに陥る。もう一度トライするがだめだった。そして再起動にかかる時間がやたらと長い。しばらくしてうまくいった。Palm OS は進化しているというが、これは進化なのか? どうして背景の画像が必要なんだ? Zen of Palm はどこへ行ってしまった?

幸運なことに、これは「第一印象が悪かっただけ」で済んでくれたようだ。その後、使い慣れてくるにつれやはり Palm はシンプルでよいという感覚が戻ってきた。しかし、Vxや m515 のときは「まごつく」ことなど皆無だったと言っていい。それと比較すると、Palm 最大の価値であるはずの「シンプルネス」に少しずつ濁りが入ってきたような気がして、寂しい気がするというのが本当のところだ。

これは産業として成熟し始めたデバイスのたどる宿命なのかもしれない。しかし、シンプルネスはまだ Tungsten のなかにも宿っている。そうである限り、Palm は良いハンドヘルドでありつづけるだろう。

 

日用品のどこが悪い?(2004年12月上旬)

「シンプリー・パーム」 を読みかえしてみる。以前もひっかかったことだが、改めて思ったことがある。それは、ハンドヘルドが収益性の低い一般的な商品になってしまうことを懸念していることに対してだ。そうなれば「製品開発や技術革新ではなく製造費用を抑えることに特化した企業だけが利益を得ることになる」...それはそうなのだが。

どんなものだって、最初にヒットするのは、それが画期的だからだ。登場がセンセーショナルであればあるほど、その勢いは増す。しかし、その後はどうなる? 極論をすれば、行き着くところは2つのうちどちらかだ。忘れ去られるか、「あって当たり前」の商品として日常生活に溶け込むか。

そりゃ、作り手からすれば電卓同様の日用品になってしまうのは寂しいかもしれない。ハンドヘルドの夢に賭けた創業者ならなおさらだろう。しかし、日常に溶け込むというのは偉大なことではないのだろうか? 日用品のどこが悪い? ひと山当てて大金持ちになれさえすれば、そのうち忘れ去られるだけのヒット商品でもいいというわけじゃないだろう? そんなのはさもしい山師の発想でしかない。

自分は Palm のようなハンドヘルドがもっと普及することを望んでいるが、それは別に一部の人達に金儲けをさせたいからじゃない。もちろん、こんなすごいものを創り出したのだから、それに見合うだけの富を得てしかるべきだと思う。だとしても、いつまでも「ヒット商品」であり続けるために無理な力を加え続ければ、それは「絶え間なき陳腐化」と「機能中毒症」の泥沼にはまるだけだ。そんなことをしたら、ヒット商品はおろか日用品であり続けることもできなくなるだろう。

今だって、Palm を取り出せば興味を引かれる。物珍しげな視線を集める。まだまだだ。自分が望むのは、Palm を取り出しても誰も珍しがったりしない世界、Palm のような素晴らしいハンドヘルドを誰もが当たり前のように持っている世界だ。それはハンドヘルドが本当の意味で日用品になった世界だ。そして、そんな世界で皆が持っているハンドヘルドが Palm だったら、そのときこそが本当の Palm の勝利なんだと思う。

もう一度言う。日用品は偉大だ。くだらないとか安っぽいという意味ではなく、誰もが持っていて当たり前という意味で。紙のシステム手帳と同じように。そう、今時紙のシステム手帳なんて誰も珍しがったりしないだろう? それと同じだ。ハンドヘルドも同じように当たり前になってほしい。Palm よ、日常に溶け込め! 珍しくもなんともなくなれ! 自分は Palm にそうなってほしいと本気で願っている。

 

SONY の CLIE 新機種投入終了を聞いて(2005年02月下旬)

SONY が Palm を捨てた。自分にはそうとしか受け取れない。ご想像どおり、自分は SONY が大嫌いな人間だからひとまず CLIE のことはどうでもいい。しかし、自分は CLIE ユーザーのことは別に嫌いじゃない。自分だって SONY が嫌いじゃなければ CLIE を(決して魅力的な PDA とは思わないが)我慢してでも使ったかもしれない。誰だって日本語版として国内でサポートを受けられる方が安心できる。彼らは現実的で愛すべき人達だ。自分のように偏った半政治的な信念で SONY を嫌う朴念仁とは違う。だから自分は CLIE ユーザーには何の恨みもない。しかし SONY は CLIE ユーザーもろとも Palm を捨てた。彼らは一体どうなるのだ?

あれだけの大企業であれば無理もないかもしれないが、結局 SONY にとって Palm OS は1つの「波」に過ぎなかったのだろう。盛り上がったから乗った → 競合と共生せずに蹴散らした → 下火になったから降りた。ただそれだけのことだろう。CLIE ユーザーは一体どう思うのだろう? Palm を捨てたということは CLIE ユーザーを捨てたということじゃないのか? Palm もろとも SONY に捨てられたような気にならないだろうか? 自分ならそう思ってしまうだろう。Palm ファンにとって、Palm というのは単なる OS 以上のものだ。熱心な Palm ファンは自分の自我にすら結び付けて Palm のことを考える。そんな人にとっては Palm を否定されることは自己の少なくとも一部を否定されることに等しい。自分もそうだ。そうだからこそ好きでもない SONY のことでこれだけ感情を害しているのだ!

それにしても CLIE ユーザー(というか日本の Palm コミュニティ?)というのは善良な人達ばかりのようだ。いつも巡回している Palm 系サイトも大方が「寂しいけど今までありがとう」式のものだ。「日和見しやがってこのクサれ○△×企業が!」と言っているサイトはほとんど見当たらない。

まぁそれはそれとして、今後も Palm を利用したいと思う人はゼロにはならないだろう。あれだけの感動を与えてくれたのだ。それがあるからこそ、自分も J-OS で日本語化して、忘れた頃にやってくる Fatal Error にイラつきながらも愛着を持って使いつづけることができる。しかし、CLIE がなくなることによって、残念だが新たな Palm ユーザーは増えないかもしれない。逆に J-OS を始めとする日本語化の重要性がますます高まっていくだろう。ある意味、日本の Palm コミュニティの人達は長い道のりの後にもう一度再スタートをきろうとしているのかもしれない。頑張れ Palm コミュニティ。そして SONY よ、2度と Palm に関わらないでくれ。

─ 忘れないうちに追記 ─

どうやら SONY は他の携帯情報端末(例えば PSP とかかな)と融合するようなことをたくらんでいるみたいだ。CLIE での実績があるから大丈夫だと踏んだのだろう。マルチメディア大好きな SONY のことだから、VZ90 でいい加減に Palm というプラットフォーム自体が足かせになってきたのかもしれない。ここらで Palm とは別の ── たとえば独自開発の OS とか ── で新製品を打ち出せば既存の CLIE ユーザーをそっくりそのまま取り込めると考えているのではないのだろうか? だとすれば、SONY にとっては Palm は「波」ですらなく、単なる「踏み台」でしかないことになる。もしそうだとするなら、── もちろんそれ自体許せんが ── ずいぶんとユーザー(もっと広く言えば Palm 界全体)を馬鹿にした話じゃないか。まぁ少し時間が経てばはっきりするだろう。

 

PUM in Tokyo に行こう(2005年03月上旬)

自分は自分のサイト内に in my palm というコーナーを作った。自分にできることをやっておかなければ、遠くない将来に後悔しそうだったからだ。誰の言葉だったか忘れたが、「気がついてしまったのなら、すでに責任は発生しているのだ」。そして信じるものは信じた責任を免れない。それだったら思い切り自分にできることを注ぎ込んでみようじゃないか。どうせ人間には自分の背丈以上のことはできやしない。たいしたことができないのなら手加減する必要もない。

そんなことを考えながらこのコーナーを更新していたら、Palm Users Meeting inTokyo が開催されるというニュースが飛び込んできた。なんてタイミングだ。手加減はしないと決めたばかりじゃないか。オフ会というやつには行ったことがない。ひとつ行ってみようじゃないか。自分の目で確かめてくるのだ。

 

m515 を修理した(2005/03/05)

m515 をなんとかしよう。そう思った。なんといってもこいつは palm computing 最後の日本語版デバイスなのだ( 2005/03 現在 )。特別な感慨をもたずに放置できるわけもない。そこで palmOne のサポートに連絡し、修理を依頼したのだ。その顛末は「m515 修理顛末記」にまとめているので見てやってほしい。帰ってきた m515 が以下の写真である。

今後メイン機になることはおそらくないだろうが、これからも大事にしよう。それに Palm OS 5 で動作しないゲームもあるし、ゲーム用マシンとして使うのもいいかもしれないな。

 

PUM2005 に行ってきた(2005/03/12)

さて、初めてのオフ会である。果たしてどんな人種が集まるところなのか。

やっぱりというかなんというか、一番すさんだ格好をしていたのは間違いなく自分だった。schott のライダースを着ているのも、破れたジーンズを穿いているのも自分だけ? 当たり前といえば当たり前だが palm 所有率は限りなく 100% に近い。ありえん。人間同士で赤外線で名刺交換してるところを初めて見た。店の中は完全に異空間だ。ハタからみたら何かの宗教団体に見えるかもしれん。

色々な有名人にお会いすることができた。色々と話を聞くことができた。開発者の方に聞く限り、イマドキの palm の開発は組込み系ほど制限はキツくないらしい。昔は使えるメモリ量が半端じゃなく少なかったらしいが、今ではそうでもないとか。そもそもヒープが普通に使えるかどうかから不安だったのだが、それなら自分にもできるかもしれない、と思ったので気張って Code Warrior 9 を購入することを決意。

palmware を作ってみたい。ちょうど1年くらい前に、初めてそう思った。しかし、実際のところ世に出回っている palmware でほとんどコト足りてしまうというのが事実だし、なにより PC 上でずっとやっているプロジェクトがたくさんあって手をつけるどころじゃなかった。しかし、そんなイイワケがましい気分も今日までだ。この日、やっぱりやってみたいと思ったのだ。やってみよう。palm 上でやってみたいことで、いい練習になりそうなネタがひとつある。

ネタというのは、自分の大好きな「ライフゲーム」というやつである( 人生ゲームではない )。PC 上で動く、ライフゲームの凝ったやつがあるので、そいつを palm 上で動くようにしたいのだ。開発環境を入手する間にコアの部分は書きあがってしまいそうだけど。

 

買ってしまった Zire 72(2005/03/21)

PUM2005 の翌日、MobilePLAZA へ行って Code Warrior 9 for Palm の取り寄せをお願いした。それまでに最初の練習作品である PalmLife と名づけた palmware の設計をしておくのだ...イメージを掴むため、Windows 上のアプリとして設計をかねつつ試作品を作成していく。可能な限りコアの部分をプラットフォーム非依存になるような書き方で進めたところ、なぜか1週間もしないうちに試作品がそれなりのモノになってしまった。仕方が無いので WinLife というフリーウェアとして公開。

Code Warrior 入荷の連絡はまだない...と思っていたら、連絡先として MobilePLAZA に知らせておいた携帯電話を紛失してしまった。これはマズい。というわけで MobilePLAZA に自宅電話番号を知らせに行く。電話なりメールなりで知らせればいいじゃないかと思うだろう。まったくそのとおりだった。なぜなら自分はその場で Zire 72 Special Edition を見て、思わず衝動買いしてしまったのだ...! 嗚呼、やっちまったよ。持ち合わせがなかったのでコンビニ ATM でお金を下ろしてしまった(衝動買いというよりは確信犯)。Code Warrior で4万円が飛んでいく予定だというのに! 携帯をなくして機種変更しなきゃならないっていうのに!

ちなみに Zire72 の購入時に、palmOne 製のケースをおまけに頂いた...のはいいが、残念ながら自分に使いこなせるような絵柄じゃないようだ。このまま打ち捨てておくのももったいない。Tungsten T5 がぎりぎり入るか入らないか、というくらいのサイズだ。一応パッケージには Tungsten & Zire と書いてある。未開封のままの状態である。誰か使ってくれる人がいたら喜んで差し上げるので連絡してほしい。

─ 追記 ─

上記のケースは 2005/04/01 に九段下で行われた東京ラ・パームの花見オフにて、じゃんけんゲームによって里子に出された。大事に使ってやってちょうだい。

 

PalmLifeできた(2005/04/07)

長いことこのページを放置してしまった。理由は簡単。CodeWarrior が手に入り、がむしゃらに開発をしていたからだ。事前に WinLife を開発していたし、コアのシミュレーションエンジンをプラットフォームに依存しないように実装していたので、CodeWarrior入手後はかなり素早い開発ができた。それに、CodeWarrior に付属の POL というクラスライブラリが Win32 の MFC に酷似した作りになっていたことも関係しているだろう。

で、上のスクリーンショットが完成した PalmLife を POSE で動作させているところだ。しかし、冷静に考えると、この手のオートマトンって何が楽しいんだろうかと不思議になる。でも好きだ。つくづく好きである。しかし、多くの人にとってこのアプリはどう見えるのだろう?

 

次は PalmDLA(2005/05/08)

立ち止まることなく開発を続ける...今度は別のオートマトン、拡散制限集合( DLA )のシミュレータ PalmDLA だ。また気味の悪いものを作ってしまった。

同時に、PalmLife をバージョンアップ。これまでは Palm OS 5 かどうかでセル構成を固定していたが、新バージョンでは選択可能にした。OS 4 で 160 x 130 を選ぶと動きが遅くなりすぎるが、これはまぁ仕方ない。新作である PalmDLA もセル構成は選択可能だ。muchy.com や Palmwareinfo.com で紹介していただいているが、自分でも不思議なほど反応は良好なようだ。有難い限りである。

 

3作目は掛け算パズル(2005/05/21)

ノンストップである。体が壊れそうでもある。3作目はもっと一般ウケのするものを...を思って作ったのがこの mpuz だ。要するに自分は一般ウケしない人間だということだ。

今回の密かな狙いは、ハードウェアボタンのトラップやデータベースへの保存などについて学習することだった。また、利き腕による画面レイアウトの変更や文字入力、ハードボタンによる操作など、所謂ユーザビリティについての個人的な実験と主張の展開もしてみた。力不足で満足の行くものではないが、気に入らない部分は将来の課題として残しておこう。

もう一点、画面上にラベルとフィールドとボタンしかない状態で、如何に動きを見せるか ── それも今回の挑戦の1つだった。画面サンプルではわからないが、操作のたびに画面上のボタンが回転したり揺れたりするのだ。Palm の重要なキーワードである simpleness、それへの回帰というもうひとつの隠れたテーマである。興味が持たれた方は試してみていただきたい。

 

muchy.com に最敬礼(2005/06/08)

muchy.com が更新を停止した。無期限停止だそうだ。引き継いでくれる個人か会社が見付かるまではコンテンツは現在の状態を維持するという。

あまりにも普遍的なものが目の前から突然消えようとしている。その存在は当たり前すぎて、停止という事実をすぐには実感できない。「地球の自転が止まりました」と言われたようなものだ。当然その事実ではなく、自分の知覚を疑ってしまう。自分が大きなショックを受けていることは分かる。頭では分かるが、心が麻痺してしまっているのだ。離人症のような状態と言っていいだろう。動揺して、せっかくやめたはずのタバコに火をつけてしまった...茫然としてしまって、なにも考えられない。

自分にとっては、SONY の CLIE 撤退よりも何倍もショックだ。Palm を使いはじめた時から、muchy.com はいつもそこにあった。これからもずっとそこにあるものだと信じて疑わなかった。終わらないものなどないと悟ったような台詞を自分にいい聞かせてみても、結局は自分はそれを求めている。これからも求めてしまうのだろう。

最敬礼...

 

興味深い試み(2005/06/21)

NSBasic で作成する Palmware では、「オレ金(OreCa)」という仕組みが利用できる。これは mizuno-ami さんが作成したアプリケーションで、お金を使用するゲームなどで、アプリをまたがってお金をやり取りできるというものだ。とあるゲームで稼いだお金を「オレ金」に貯めておき、別のゲームに持っていったりできるので財布のようにも使える。なんとも興味深い試みじゃないか。

今作成している4作目の Palmware は、ちょうどスコアの代わりにお金を用いるようになっている。是非この仕組みに参加したいものだ...と、思ったもののCodewarrior(というより C/C++)からインタフェイスできるのか...などとぶつぶつ呟いていたら、Palmware 開発の先輩であるいなあもさんが NSBasic のデータベースの使い方を教えてくれた。その知識をもとに mizuno-ami 氏作成の「 OreCa 対応キット」に含まれるコードを読んで C/C++ のコードを書き起こしていく。NSBasic の知識がないせいでわからない部分は OreCa のデータベースをバイナリエディタで解析。mizuno-ami 氏は NSBasicで使用するデータ型に関する情報を下さった。感謝。

今日の時点で、実機でのみ発生する Fatal Exception に悩まされているが、これはデータベース API の使い方が良くないために発生しているもののようだ。ここにこれを書いた以上、もう後には引かない。

 

4作目は配管職人!(2005/07/24)

...疲れた。開発の終盤はさすがに倦怠していたことを懺悔しておこう。それでもなんとかリリースにこぎつけたのがこの PipeWorks だ。

昔、こんなようなゲームがアーケード版であったはずだ。かれこれ 10 年以上も前の記憶を思い出しながら自分なりの味付けをした結果出来上がったのがこれ。今回の挑戦はいろいろわかりやすい。高解像度対応、OreCa 対応、ジョブエディット機能...あとなんだっけ。

前作の mpuz 完成直後からスタートしたわけだから、結局2ヶ月くらいは走りつづけていたわけだ。今回はあれこれと能書きを並べるほどの元気もない。まぁひとつやってみて欲しい。

 

さぁ、ここが現在だ(2005/07/24)

そう、ここが現在だ。PipeWorks の製作で自分がかなり「枯れて」しまったような気がして我ながら心配だ。まだやりきったわけじゃないはずだ。でも自分が何を作るべきなのか、今ちょっと見えなくなっている。少しだけ立ち止まって、やりたいこととやらなければならないことを考えてみよう。

─ 追記(2007/01/04) ─

2005年の夏以降、このページは更新していない。ちょうど最後の更新のあたりで開発日記を weblog 化したことと関係しているかもしれない。その後の Palm との関わりや開発については、カテゴリ「Palm」のlogを参照してほしい。

 

 


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